スタッフのご紹介
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元気と明るさが絶えない接骨院!
- 南 亮輝(みなみ りょうき)
- 施術スタッフ
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出身地:埼玉県朝霞市
血液型:B型
趣味・特技:サッカー
資格:柔道整復師
- 地域のみなさまへお身体のお悩みをしっかり解決する為に是非皆さんのお身体をみさせてください!当院のスタッフは元気と明るさがモットーです!
施術家になるまでの自分自分が施術家になろうと思ったきっかけはサッカーで怪我をした時からでした。サッカーは幼稚園の頃から今までずっと続けています。小さい頃は怪我などほとんどしてこなかったのですが高校生の時に股関節を怪我し大会に出れるか分からない状況でした。そこで初めて接骨院に行き、施術してもらいました。その施術のおかげで大会にも間に合うことが出来ていい結果を残すことが出来ました。その時に施術家・柔道整復師は凄いなと思い憧れて、自分もスポーツしている人やお身体の不調がある方を手技で治すことが出来ればと思い柔道整復師を目指しました。スポーツしている人のケアをしたいということもありスポーツトレーナーも視野に入れ、専門学校を探し、国家試験の合格率が高かった東京にある東京柔道整復専門学校に入学しました。入学してからは専門的な知識や身体の構造について詳しく勉強しました。勉強が苦手だった自分は3年生になってバイトを辞めて学校が終わったら学校の自習室で同期の友達と国家試験に向けて徹底的に勉強しました。問題を出し合い、競うことで共に知識をつけレベルアップ出来たので友達には感謝しかないです。そして3月の国家試験も無事に合格することができ、柔道整復師の資格を取得することができました。
新人・修行時代の自分専門学生の時、勉強と並行して就職先も考えていました。自分はスポーツトレーナーと接骨院両方やってみたいと思っていたので、両方経験できる就職先を探していました。その時に株式会社クラシオンという会社を知り、調べてみるとトレーナー活動も活発に行っていたり、接骨院を全国展開していることを知り、いろいろな事に挑戦できるのではないかと思い、就職することを決めました。クラシオンに就職してからは流行性のウイルス性感染症のこともあったので研修が少し長い期間行われました。研修では会社の経営方針やルールなどを社長直々にお話をして頂きました。社長講話での内容を理解することで人として在り方・考え方の成長ができました。その他には施術技術を学びました。上司の先生方がひとつひとつ分かりやすく丁寧に教えて頂けるので、覚えが悪い自分でも積極的に練習に励むことが出来ました。また、同期でグループを作り練習に打ち込めるため同期同士で切磋琢磨することで絆が生まれ今ではとても大事な友達になっています。横の繋がり、縦の繋がりが距離が近くとても仕事のしやすい環境です。またたくさんの先生と関わりができるのでとてもいい刺激になります。慣れが怖かったですが常日頃から成長することが出来ているので今でもとても愉しく仕事をしています。
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明るくて清潔感の溢れた院
- 金 素源(きむ そうぉん)
- 施術スタッフ
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出身地:東京都小平市
血液型:O型
趣味・特技:サウナ、サロン巡り
- 地域のみなさまへ皆さん、こんにちは!当院は地域ナンバ−1の施術院になる為に常に学び日々成長してます。特に接遇面で一番力を入れて取り組んでいます。これからの地域医療に貢献できるよう努めていきますのでこれからもよろしくお願いします。
施術家になるまでの自分私は幼い頃から頭を動かすより体を動かす方が好きな少年でした。スポーツを始めたきっかけとしては、幼い頃から人並みよりも体が小さく弱かった為、親のススメで水泳を始めたのがきっかけでスポーツと関わる事が多かったです。幼稚園の時は水泳を小学1年生から中学3年生まではサッカーを高校1年から大学までは陸上の長距離走を様々なスポーツをやってきました。その中でも、特に一番長く続けてた陸上ではキャプテンとしてチームを牽引してきました。ですが、腰や膝の怪我が多くチームメートや監督、親に迷惑をかけてばかりで、思ったように体を動かせない時期が続いてた中、それを見かねた監督の紹介で多くのアスリートが通ってる、接骨院を紹介してくれました。そこでは指圧や電気の施術だけではなく、歩き方のフォーム改善やストレッチなど、教えてくれ定期的に通う様になり、不自由なく動かせるようになり試合にも勝てるようになりました。そこでの出会いがきっかけで先生のように体の辛さで悩まれてる方を治す施術家になりたいと思いましたし、次は自分があの頃の先生みたく患者様からありがとうをいただける施術家になろうと思いこの道に進みました。
新人・修行時代の自分新人時代は何もわからない中一日一日が常に学びであり刺激的な日々でした。最初の頃は、押し方がままならなかったので、毎日指が痛い日々が続き、患者様に施術をしても症状が中々良くならないなど辛い事や失敗が沢山あり、嫌になった事もありました。 しかしそこで、力を貸してくれたのが上司の先生や同期の先生でした。業務後に勉強会を開いてくれたり、業務中にも常に的確な指示を下さった上司の先生、常に切磋琢磨し刺激をくれた同期の先生がいたからこそここまで成長できたと感じました。その過程の中で、一番時間を費やしたのは技術面での指圧と矯正の練習で、多くの時間を費やしました。その他では昔から苦手だった計画を立てその目標に向かってどの様に行動していくかを常に考えられ様になり、今ではずっと苦手で避けてた計画立てるを立てる事が嫌いではなく好きになり、計画を立てる事で成果に繋がると気づく事ができました。新人時代はいっぱい失敗をしましたり怒られたりもしましたが、それが今になっては自分の成長に繋がったのだと感じました。その過程で色んな先輩方や同期にお力を貸して頂いたので、その学んだものを糧に当院をもっと盛り上げ患者様の心に刺さった串を抜き笑顔が溢れる院にして行きます。
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毎日 フルパワー!
- 木村 胡桃(きむら くるみ)
- 施術スタッフ
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出身地:埼玉県入間郡
血液型:AB型
趣味・特技:たくさん食べて寝る
資格:柔道整復師
- 地域のみなさまへ皆様、こんにちは! 接骨院に入りにくいと思う方もたくさんいると思いますが、安心してご来院ください。 元気、笑顔でお迎えします! 皆様のご来院お待ちしております。
施術家になるまでの自分私は、高校卒業後の進路を決める時まで、自分が将来なにをしたいのか、なにになりたいのかは明確ではありませんでした。なので、学校で行われる進路調査アンケートが苦で仕方なかったです。ですが、たまたま柔道整復師という職業を聞き、最初はどういう職業かわかりませんでしたが、調べると接骨院の先生が持つ資格ということがわかりました。私は小学校、中学校、高校と運動をしていたので、その頃からお世話になっている接骨院の先生がいました。その先生は優しく、どんな時でも助けてくれる信頼できる先生でした。通っている期間が長かったので、すぐに仕事内容はイメージできました。よく考えてみると、私にとって1番身近な職業で、先生の存在は大きかったです。それだけの理由で、となってしまいますが、私にとって頑張ってみたいと思う職業は初めてだったので、柔道整復師という道を選びました。それからは、専門学校を選び入学し、学生時代で1番というほどの勉強をしました。受験生になると、午前中は授業を受け、午後からは自習室で友達と一緒に勉強する毎日を送っていました。つらいこともありましたが、分かることが増えるたびに楽しく、同じ将来に向かって頑張っている友達がいることもあり、最後まで楽しく乗り越えられたと思います。そして、国家試験には無事合格し、柔道整復師の資格を取得することができました。
新人・修行時代の自分専門学生の時は、自分が働いているイメージがなかなかできていませんでした。ですが、専門学校で開かれた就職相談会で、株式会社クラシオンという会社を知り、調べてみると幅広い活躍の場があることがわかりました。私はこの会社なら挑戦できることが多いのではないかと思い、就職することを決めました。クラシオンに就職してから最初に新人研修が始まりました。新人研修では理念・施術家としての在り方を教えていただきました。技術面では、指の使い方から細かく丁寧に教えていただけるので、初めてのことで不安もありましたが、冷静に前向きに取り組むことができました。また、同期同士のグループワークもあるので、仲良くなれるかななどの不安もありません。そのグループワークのおかげで、今でも仲良く大切な同期です。新人研修が終わると、配属先が決まり施術家としての始まりです。最初はとても緊張しました。ですが、院長や先輩方は優しく、覚えの悪い私にもいろいろなことを教えてくださいます。わからないことを聞くと、すぐに答えが返ってくるので、本当にすごく尊敬できる先輩方です。初心を忘れぬよう新人研修で学んだことを頭に入れ、これからもやりたいことに向かって頑張ります。
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明るく入りやすい院
- 北澤 友哉(きたざわ ともや)
- 施術スタッフ
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出身地:茨城県水戸市
血液型:A型
趣味・特技:手品、音楽を聴く
資格:柔道整復師
- 地域のみなさまへ皆様のお身体の改善に貢献できるよう、全力で取り組んでまいります。一人ひとりが健康で明るく過ごせる毎日をサポートすることが、私たちの使命です。皆様の笑顔と健康を守るため、これからも誠心誠意努めてまいります。
施術家になるまでの自分私が施術家になろうと志したのは高校時代の頃です。高校時代は野球部に所属していて、毎日練習や試合の日々でした。当時は私も部員の仲間たちも怪我が多く、学校の近くにある接骨院によくメンテナンスも含め何人かで通っていました。怪我で痛む事があった時や、投げすぎたときに肩が痛くなってしまって辛い時には柔道整復師の先生方に治療をして頂き、痛みを和らげていただいたり、先生方も野球をやっていたのもありアドバイスや改善点などもして頂いたりしていました。何回も通っているうちに、中学生くらいの子や大学生位の方、社会人から高齢の方まで年齢層が様々で、辛さの種類もバラバラなのに痛みを和らげていて帰る時は笑顔で帰っているのがとても印象的でした。その頃から施術家に憧れを抱くようになっていました。その想いもあり、専門学校へ進学することになりました。専門学校へ入学してからは、今までの分野とは異なり、解剖学や生理学など、骨格や筋肉に関する多くの分野を学ぶことに苦労し、悩むこともありました。しかし、友達と共に学び、知識が深まるにつれて学びの楽しさを実感しました。施術家としての未来が見えてきた時、全ての苦労が報われる瞬間でした。
新人・修行時代の自分身体の事を深く知ろうと、勉強にはげみつつ接骨院でアルバイトを始めました。アルバイトをしていた接骨院では院長先生がオリンピックで活躍する選手のトレーナーなどもやっており、身体を治すことと同じくらい、セルフケアやトレーニングについて学べる機会や、基本的な筋肉の仕組みなどの勉強会も多くありました。 また学校ではトレーナークラブと言う種々様々なスポーツの現場に行き、実際にトレーナーとして参加したりブースを作り選手のケアをするなどの経験もさせて頂きました。 選手のケアをすると言う特別な経験をするので、もちろんの事練習も欠かさず行いました。試合前に行うテーピングなどでは時間が限りられてしまうので、早く、且つ正確にテーピングをする必要があるからです。臨機応変に対応する力もつける事が出来ました。 トレーナーブースでは選手の身体の使い方や練習風景などを見られる環境にありました。またとない経験でしたので、沢山の時間を費やしました。 本当に様々な事を学ばせてもらった学生時代でした。 ご縁がありこの会社に入社し、今に至ります。「1年で3年分の学びができる」と聞き入社しました。これまでになく、日々成長を感じる事が出来ています。 患者様に感謝して頂ける事を当たり前と思わず、今後も精進してまいります。
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健康を手に入れ、みんな元気に!
- 福原 孝清(ふくはら こうせい)
- 施術スタッフ
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出身地:埼玉県ふじみ野市
血液型:O型
趣味・特技:サッカー、ゴルフ
資格:柔道整復師
- 地域のみなさまへ自分たちの役目は地域の方々に健康を贈ることです。長年お身体でお悩みの方や、やりたいことがお身体の不調で出来なくなってしまいお困りの方は是非ご相談下さい。どんなに些細なことでもお待ちしております!
施術家になるまでの自分私は小学3年生からサッカーを始め、小学6年生の秋、相手の選手と接触してしまい、利き足である右足を怪我してしまい、接骨院に通うようになりました。当時、大会も近く、歩くのがとても痛かったので、不安でしたが、明るく元気に接して頂いた先生のおかげで安心して通うことができました。それと同時に先生方の一人ひとりに寄り添う姿勢に憧れを抱きました。結果として、大会には出れませんでしたが、無事に足の痛みも治り、サッカーに復帰することが出来たので、今となっても、とても印象に残っております。 その後、高校生になり部活動のサッカー部で腰を痛め、また接骨院に通うことになりました。その頃、ちょうど進路で悩んでいた時期でもありました。そんな中、担当して頂いた先生がとても親身になって話を聞いてくれて、怪我のことだけでなく、プライベートや進路のことにも相談に乗ってくれました。そのこともあり、自分も将来この先生達のように誰かの役に立ち、怪我で悩んでいる人たちの助けになりたいと強く思い、この職業を選びました。 私が憧れた先生方のように、患者様一人ひとりに寄り添い、子供達からも憧れるような先生になれるようにこれからも励んで参ります。
新人・修行時代の自分新人の頃は、とにかく技術の練習に励みました。技術力を磨けば磨くほど、自信にも繋がると思い、本社での技術研修でもたくさん練習をしました。ですが、実際に現場に出てみて患者様に施術をするということは想像していた以上に難しいことだと痛感しました。現場の先生方のお手本を受け、実際に自分も同じように施術をしようと思っても、なかなか上手く出来ませんでした。そして、1番苦戦したことは患者様とのコミュニケーションでした。どれだけ、技術があったとしても、患者様とのコミュニケーションが出来なければ、信頼関係を築くことが出来ず、患者様の不安や些細なことに気づくことが出来ないのだと現場の先生方を見て実感しました。なのでそれからは、技術はもちろん、施術を通しての知識や、それを説明する説明力、そして、1番苦手に感じたコミュニケーション力を現場の先輩方に教えてもらい、現場でも成長することが出来ました。時には辛く、弱音を吐くことがありましたが、それを支えてくれたのは本社での研修を共に頑張った同期の仲間達でした。同期が居てくれたおかげで今の自分があると思います。そして成長出来たのも、本社の先生方、現場の先輩方、同期、そして患者様に日々感謝をし、今後も頑張って参ります。
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明るく元気な院
- 會田 蒼馬(あいだ そうま)
- 施術スタッフ
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出身地:埼玉県さいたま市
血液型:A型
趣味・特技:ゲーム、水族館巡り、野球観戦
資格:鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師
- 地域のみなさまへ地域の鍼灸師です!鍼を受けてみたい方や東洋医学って何?と思った方はぜひ自分まで聞いて頂ければ幸いです!もちろん趣味などのプライベートな事もめちゃめちゃ話すので身体をよくしていきながら過ごしやすい院を作っていきましょう!!
施術家になるまでの自分自分は施術家になるまで野球をしていました。小学生から高校生まで野球をしていたのですが、高校生の時に肘のケアが足りておらず怪我をしてしまいました。その時に知り合いの鍼灸師の先生にお世話になったのがこの業界に初めて関わったきっかけでした。その時の鍼を受けた時の感覚や施術後の身体の違いが自分にはまるで魔法のように思え、野球選手のトレーナーか、ソフトバンクホークスの球団職員になりたい夢があったのですがこの体験があり、高校卒業後すぐに鍼灸の専門学校に入学し、鍼と灸の勉強に打ち込みました。最初はコロナで対面授業などがなく学校に行けなかった上に、馴染みのない東洋医学の勉強、身体中にたくさんあるツボの位置や効果などを覚える事や、友人に鍼やお灸を練習したりする事がなかなか上手にできずに違う道に進むか挫折しそうになった事もありましたが、クラスの友人の力も借りながら国試に受かり、無事に鍼灸師になる事ができました。まだまだ鍼灸師としては至らない部分もあるので今でも勉強は続けています。今では東洋医学を用いた薬膳料理や美容鍼や、鍼の打ち方や効果も様々な流派があるため興味があるものは本や文献を読んで勉強しています。
新人・修行時代の自分新人・修行時代の自分は良い意味でも悪い意味でもマイペースでした。目標があればそれに向かって集中したり、やるべき事を最後までやり切れるのですが、やる気が出るまでが遅かったり、やり始めたら終わるまで辞めなかったりしてしまいます。 勉強面でももっと早く勉強を始めていれば楽だったのかとか、まだまだ勉強するべき事があったなとか色々後悔はしていますが、それを取り戻せるように今も勉強し続けています。 あとは顔が無愛想とも言われたことがあります。ふじみ野に配属された頃には仕事だから真面目にやらなければという気持ちが強く患者様とのコミュニケーションなどが足りていなかったようにも思います。そのためこの1年間は患者様とのコミュニケーションを取りつつも表情などを明るくする事を意識して施術をしていたおかげで、自分の無愛想な顔つきが最近はゆるくなってきているのかなと思っています。 ふじみ野に配属されて先輩や同期には色々迷惑もかけて過ごしていますが、最近では後輩もでき先輩として成長しなければならない事も増えてきたのでもう新人ではないという気持ちで、当院をより良くできるようにこれからも頑張り続けていきます。